Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

積読本(積んどく本)

先日ミヤさんとちょっとしたイザコザがあって、ギクシャクした空気になったのだが、

ここの所やっと元に戻ったが、綺麗サッパリとなったとは言い切れなず、私一人が引きずっているみたいである。事の発端は、読んでいない本を「読むから」と言いながら、いつまでも本棚の横に積み重ねていたものを、ミヤさんが業を煮やして片付けて

しまったのだが、片付けた後がミヤさんの化粧水やらが放ってあったからだ。

まあ確かに読みもしない本を1年以上も放っておいた私も悪いのだが、それでもこの

書棚は物を置くには絶好な場所ではあり、ミヤさんの化粧水やら部屋のクーラーの

コントローラーなど、ちょこっと奥にはもってこいの置き場となっているのは事実で、

読んでいない本をいつまでも置いておくなら、そこに本棚があるのだから片付けろと

いう方が理に適っているだろう。とは言え書棚がいつの間にか、化粧品入れの棚になる

のも困ったものであるが、片付けるという目的からすれば、こういう使い方もあると

いうのも文句は言えない。 しかしよく考えればこれが本来の使い方である。

ところで私たちが使っているベッドには、ヘッドボードに棚が設けられていて、これが結構いい働きをしていて、丁度いい物入れになっておりここも積読本(積んどく本)の

置き場になっているのである。

ここにつくねて(重ねて放って)ある本は実はもうすでに読んだものだが、どんな本

だったか忘れたので、もう一度読み返そうと思って枕元に置いてあるのだが、金庸の

武侠小説で、以前勤めていた会社にいたO氏が帰国の際に置いて行ってくれたもので、

一度は読んだものだったが、一気読みしたためどんな内容だったか思い出せず、

じっくり読もうと思っているのだが、未だ読み返していない本である。 金庸の武侠

小説ってちょっと読むと面白いのだが、夢中になって読むほどの物かと言うと読み

終えて振り返るとあまり残っていない感じがするのは私だけだろうか?

本当は片付けなければと思っているのがこちらに積んである辞書の類だが、これらも

書棚に片付けた方がいいのかもしれないが、実のところ時々使っているため、本当は

ブックエンドでも買ってきて立てかけておけばいいのかもしれないと思っているので、

今のところ文句を言われているわけではないから、その内実行しようと思っている。

さて肝心の片付けられてしまった積読本(積んどく本)なのだが、結局また本棚から

出して今度はテーブルの上に積んであったのだが、一応読み始めることになった。

【陰陽師】

夢枕 獏 原作のシリーズ本で、陰陽師である安倍晴明とその飲み友達である源 博雅が

繰り広げる、物の怪との不思議解決の小説であるが、時として主人公が同じく陰陽師の

蘆屋道満(あしあどうまん)が主となる話すが展開される。

【先代旧事本紀大成経(サキノミヨノ フル͡コトノ モトツフミ オオイナルオシエ)】

聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われた超古代の叡智」72貫の全容

と言うことであるが、私はいまだ完読していない。以前途中まで呼んだがさっぱり意味

不明で、途中で嫌になり放り出してしまった。「謎の根源聖典」の核ととなる基本は

「天隠山理論(アメノカグヤマ理論)」だそうだが。途中までしか読んでない私には

今のところサッパリ判らないのが本音である。理解できたできないは別にして、一度

全て、完読した後機会あれば紹介したく思う。