Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

朋あり 遠方より・・・

一昨日のこと、昼食を食べ終わって一休みしている時、ミヤさんの携帯が鳴って娘が

出て対応を始めると間もなく、娘が楽しそうに笑いながらミヤさんに携帯を渡すと、

今度はミヤさんが話し始め、大きな声で笑ったりしながらかれこれ20分以上も話して

いたが、電話が終わると「ピーノ、ビウが来ているから夜出かけない?もし行かない

ならインと出かけるから、夕食は適当にして」と言い始めた。雨が降りそうだし、面倒

なのも手伝って私は遠慮することにした。下の写真は昨年11月に彼女がタイに来た時に

撮影したものだが、帰宅は多分夜遅くなるだろうと推測できる。彼女は今マレーシアで

生活しているのである。

夜7時半を廻った頃、一人であるもので勝手に夕飯を済ませると、8時頃から何やら外で

雨が降り始めたような音と雷鳴がし始めた。どうせどこかで飲んでいるだろうから、

帰るこ頃には少なくとも小降りにはなっているだろうなどと考えて、パソコンで遊んで

いたら暫くして携帯が鳴り始めた。まだ帰る時間でもないのになんだろうと出てみると

ミヤさんで「ちょっと待って」と言って変わったのが、 D社のUs氏で「ご無沙汰して

います。今日本からTさんが来ているんですが、出て来ませんか?」という、ミヤさん

とは別口のお誘いの電話だった。電話しながら外へ出てみると、どうやら小降りになり

つつある感じでなので「判ったけどTさん今いるの?」と聞くと「こちらへ向かって

います」とのこと。ならばとミヤさんに代わってもらって、トクトクを呼んでもらって

急ぎ身支度をし出かける。家を出る時は雨も小降りになり始めてはいたが、シラチャに

着いたときは雨は止んでいて、いい塩梅で雨は止んでおりそのまま店に入る。

Tさんは店に既に来ていて、挨拶もそこそこに「カンパーイ」の声と共に飲み始める。

夕飯を食べたばかりの腹にはちょっときついが、久し振りのビールがうまかった。

私の隣がタイは何年振りかのTさんで向かいがUさんで。お二人とも私が前に働いていた

H○○Tと取引のあったD社さんの人間だが、私と深い付き合いはTさんで本当にお世話に

なったと思っている。

私は元々自動車用樹脂部品の設計出身であり、その後生産準備(製品開発)部門を

担当していたため、樹脂部品の基本は身についていて、H○○T社でQA(品質保証)を

担当していたのだが弱点があって、樹脂メッキについて知らないことが多すぎたのだ。

そのためD社が近くにあったことと、たまたま購買関係で知り合ってからは判らない

ことや専門的なことに当たると、用事を作っては教えてもらいに行ったものである。

そんなTさんだが、仕事中に気持ち悪くなったとかでパヤタイ病院に外来で行っていた

が、待合所で待っている間に心臓が停止してしまったのである。病院の中だったのが

不幸中の幸いで、即再生の手術したおかげで「三途の渡し」まで行って引き返してきた

のだが、本人は息を吹き返した後の記憶は、周囲に教えて貰って知ったと言っていた。

そんな状態だったから体がある程度回復した段階で早々に帰国した。その後元気に

なって、出張ベースでタイに来るようになり付き合いもまた復活した。その頃には私も

現在の家に住むようになり、我が家にも2~3回飲みに来たことがある。

H○○TとD社という購買関係の付き合いではあるが、表面上だけで実際は購買上の付き

合いであり。教えたり教えられたりの中であり、飲み友達であったのである。

そんなわけで今回U氏から電話があったのは非常にうれしく、まさに「朋あり 遠方よ

り来たり。楽しからずや」である。最後は「また今度」と言って別れたが、実際の所

又今度が果たしてあるかどうかである。

【後日談】

後日どころかその翌日のこと、ミヤさんが「ピーノ、Tさん今66歳って言ってたけど、

本当は定年じゃないの?いつまでD社にいられんの?また今後来た時って、今度はいつ

来んの」と質問してくるが、「そんなこと終えwが知るわけないだろ」で会話終了。

さて次回はいつ飲めるのだろうか、ミヤさんは我毛屋での飲み会になると思っている。