Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

とうとうレックが死んだ。

8月末にガンだと判って、何とか様子を見ながらレックも頑張ってきたのだが、昨日

(10月7日)5時半に息を引き取った。先々月26日に高熱を出し、近くの動物病院へ連れ

て行ったのだが、夕方一旦連れ帰ったものの再発して再入院し、結局2泊してしまった

のだが、この時にガンが発見され、かなり進行しているようなことを言われた。

下腹が膨れ首ののど元のリンパ線が膨れているので、触れるとやけに膨らんでいて、

明らかに病気(ガン)とわかるが、それでも薬のせいか一時元気にはなった。

そうは言ってもやはり進行しているガンのせいか、日毎に元気がなくなり1週間前には

立つことも覚束なくなり、排尿・排便に外へ出すこともできなくなり、大きなタオルで

腹部を持ち上げ、家の中のパンパースまで歩かせてするしか手が無くなっていた。

昨日起き出して階下に降りると、ミヤさんが目を赤くして「今朝5時半に死んだ。

苦しんだ感じではなく、オシッコさせた後横になると、小さくウォン・ウォーーンと

悲し気に、吠えて少し経ってそのまま静かに死んだ」と声を詰まらせて教えてくれた。

とにかく苦しんだ様子を見せなかったのがよかった、と言ってまた涙を見せた。

「すぐにお寺へ行くか」というと、「まだお坊さんが揃っていないから(来ていない)

9時頃行く」とのことでその積りで準備を始める。準備と言っても葬儀費用の準備と

レックを運び出すだけである。葬儀費用と言っても犬の体重によって異なり、レックは

42kgあったから3000Bを白い封筒に入れる。お寺はこれまでラック以下お世話になっている、シラチャのタラート近くのワットラートである。

※関連記事 はてなブログ Jinbeiのシャム便り 「Lookの突然の死」

レックをピックアップの荷台に乗せ、ミヤさんと娘の3人で車に乗り込み出かける。

途中で花屋によって花(荼毘の時体に乗せる)を買い、更に布屋に寄ってお骨を包む

白い木綿の布を買う。9時前にはすぐに寺男が出てきて段取りよく、レックを荷台から

下ろし斎場に運び込んで葬儀の準備を始める。

葬儀の準備と言っても私たちは指示に従うだけで、線香をあげるだけで言われたときに

花を出すと寺男の指示で、花をレックの体にばらまく。

やがてお坊さんの読経に従い手を合わせて読経をするが、お経を知らない私はミヤさん

に真似るだけである。股関節が固くなった私に横座りやかしこまることができないが、

ここでは椅子を出してくれるので助かる。式は読経を上げるだけなので至って簡単に

10分そこそこで終わる。

無事葬儀が終わると荼毘に付すだけだが、まずは焼却所に入れる前に「お別れ」で、

残った花を振り掛け最後の別れとなる。

最後の別れが住むとあとは焼却所に入れて、荼毘に付すだけであるがこれが時間が

掛かるのだ。まずは焼却所に運び入れるのだが、この焼却所は最近設置したらしく

新しい感じで、以前からある隣の焼却所だと。レックには小さいようだった。

後は火を入れて最低でも1時間半以上は待つことになるが、これは数時間前まで生きて

いた体を、骨だけにするまで焼くのだから仕方がない。焼却は重油である。

およそ2時間後、寺男に呼ばれて焼却所のところまで行くと、まだ少し熱い感じだが、

かき集められた骨が白い布に移され、花弁を振り撒かれて いた。人の場合はよくは

知らないが、タイの場合は大きな骨を砕くことはないだろうが、頭蓋骨も顎の骨も

細かく砕いて、なんだかわからなくなってごちゃまぜである。

一応全て終わり寺男にも礼を言ってワットラートを後にするが、車に乗るとミヤさんが

「そのままコ・ローイへ行ってと言う。どうしたんだと聞くと「コ・ローイで散骨が

できるって、お寺で聞いた」とのこと。コ・ローイの中に駐車すると、ミヤさんは娘を

促して観音堂の方へ進む。観音堂(向かって右の建物)まで進むと建物の前に2本

手摺りのようなものが海に向かって突き出ていて、ここから海辺の岩場に降りていく。

降りた二人はお骨の包みを広げて散骨を始めた。この写真は観音堂の向かいにある

シ・チャン島行きの連絡船乗り場から撮影したもの。

今朝まで生きていたレックだが、お寺で荼毘に付してカルシウムの塊(お骨)になり

散骨して海の藻屑となってしまったのである。今私たちに残っているものと言えば、

数々の思い出と数枚の写真だけである。この思い出だってあと数か月もすれば、色褪せ

たものになっていくだろう。「死」と言うのは無常と言えば無常ではあるが、今まで

この思いから逃れた人はだれ一人としていなく、誰にも一様に訪れるものなんだと、

改めて思い知った。