毎朝起きて着替えをし、洗顔して窓を開け放つのだが、去年の暮れから気になっていた
のだが、階下に降りて犬の面倒を見る頃にはそんなことも忘れてしまう。気にはなるの
だが普段生活する上でさして問題になることでもないから、目先の問題に直面すると
そっちに気が行ってしまい、気になったことなどどこかへ行ってしまうのである。
この大きな観音像(?螺髪ではないから多分)のことであり、最初に気が付いたのは
先月の中頃(12月中旬)だったような気がする。
ところがである、下に降りても外に出て見ることができれば思い出し、「そうだ見に
行ってみよう」ということになるのだが、玄関先から表に出ても、門から外に出て境界
の境の塀の脇まで行っても、この像は見えないので覚えていても、何かの拍子に記憶
から飛んでしまって忘れてしまうのである。
ところで、先日娘の大学卒業式に行く際、息子の脇に座っていた私は家を出発して
すぐに、中国寺の手前でこの像を見かけて写真に収めたのである。2階から見える像は
中国寺にありそうだと思っていたが、まさか息子の車に乗っていて見えるとは思って
いなかった。
中国寺と書いたが、私だけがそう思っているのではなく、我が家の家人や近くのタイ人
も「ワット・チーン」と言うし、Googleの地図やその他の誌面でも中国寺と記載されて
いるのを見掛けるが、正確にはお寺の学校なのである。この写真はこの学校の前の入り
口を写したものであるが、正門に「ワット・ポータット・ラーチャウィタヤーライ校」
と書かれている。
ところで、先日一寸した買い物があってJ-Parkへいったのだが、入り口に「OHAYO」の
今月号(12月20号)が置いてあったので持ち帰って読んでいたら、下記のような記事が
載っていたので行ってみることにした。この新聞の記事は先月20日以降に取材された
ものらしく、写真ではやぐらが組まれており、建設中とも書かれているのでまだ新しい
像で、ミヤさんや娘が言っている「何か月も前からできている」とは到底思えなく、
車で行ってみることにした。
タイのお寺は有名なお寺以外、その辺にある所なら大抵立ち入り制限などなく、自由で
あろうと思い近くであることから車で出かけた。実はこんな近くにあるのだが、中国寺
ではあるが学校ということもあって、今まで一度も入ったことがなくいささか抵抗は
あったが、そのまま車で乗り入れたのだが何も言われなかった。大きな像はやぐらこそ
取り払われてなかったが、まだ工事中で今は台座になる部分だろうか作業している
ところで、まだまだ完成という所ではなかった。
この像がいいと思ったのは、タイの仏像はやたらと金ピカで金の塗装なのか、プラス
ティックなのか判らないが、やたら金ぴかで返って安っぽく見えるのだが、この像は
どちらかというと黄銅というか、ピカピカしていないところだ。
台座ばかりでなく、全体が完成したら何か式典が行われるかもしれないから、その時
改めてお参りしようと思う。
※ 参考記事 はてなブログ Jinbeiのシャム便り