Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

チャチュエンサオのお寺を巡ってタークシン王の像に出会う。

この所パソコンの調子が悪く、インターネットにアクセスできなかったりして、記事

投稿が1週間も間が開いてしまった。

 さて、火曜日の夜ミヤさんが珍しく「明日は休みだから、チャチュエンサオのお寺に

行こうよ」と言い出した。話の成り行きを聞いていると、どうやら娘と義母が画策した

ようであるが、「どこのお寺だ」と聞くと「ヤーイ(お祖母さん)が知っている」と

言って娘も知らないらしい。

とにかく水曜日は家事を手分けして済ませ家を出たのは11時である。

まずは義母の家を目指すが、ここ3年ばかり行ってなく、その間に道路もかなり整備

され、記憶も怪しく途中間違えたりしたが、何とか義母の家のパクソーイ(小路の

入口)まで来ると、義母が3人分の食事を持って待っていた。

ミヤさんが(ピーノ、メー(母)と運転を変わって後ろで急いでご飯食べて)という

指示が出る。どうやら運転は義母がやってくれるらしい。

ならばと後部でのんびり食事していると、「早く食べて、メーと運転変わって」と

次なる指示。 急場の腹ごしらえだったわけであるが、どこをどう走ってきたのか

さっぱりわからない。 義母と運転を変わると、もうただまっすぐ走れという。

だんだん民家も少なくなり、ゴム畑やユーカリの林が多くなっていき、行先表示で

サケーオなんてあったが、そんなところへは行かないといい、もうほとんど雑木林

のところを右折してすぐ、「この先にお寺があるからゆっくり行って左折すると駐車場

があるから」と言われ左折するとなんと平日なのに車でいっぱいである。

【ワット ワーヨー】

 車を止めたところは、なんと金ぴかの大きな大仏のすぐ近くだった。

この大きさでも、周囲が雑木林で民家もないため、全く見えなかったのである。

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車から降りて大仏を見ていたら義母が、「お寺はあっちだよ」と言って指さす方を

見ると、なんとも本堂とは思えない3重構造の本堂らしくない建造物が見える。

平日だというのに、人出も結構なものであり、ならば有名なお寺かというと、タイ人

には知られているらしいが、外人の観光客はどうも私一人みたいである。

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とにかく本堂へ入ってみることにしたが、確かにこの人出は平日にしてはちょっと異常

ではないかと思うくらいであるが、まあ善男善女・老若男女善き人も悪しき人も来世の

幸せを祈りに来ているのであろう。

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6体の仏像が見られるが御本尊というのが分からないが、この6体の立像が御本尊

なのかもしれない、などと思いながら中を巡ってみると、途中階段があり上に行ける

らしいので上に行ってみることにした。

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ここにも金ぴかの仏像が中央に6体あってこちらは座像だある。さらに周囲の壁には

びっしりと仏像が並んでいた。

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3階にも行ってみたが、ここはさして見るところはなかったが、本堂の写真で2階

(ブルー階)の上下に黒い四角が並んでいるが、これは窓で床に腰を落として座ると

下の景色が見えるのである。

 

一通り見終わって車に戻ると、元来た道をとにかく戻れと言われ指示通りに走るが、

そのうち315号を走っていることが分かった。そうするとどうやらチャチュエンサオ

市街地に入ろうとしているのであろうと思ったのだがどうやらそうでもないらしい。

道路脇にガネーシャ像の写真の看板が見えたので、アのお寺に行くのかと思ったが

これも違ってなんか車の量も抜くない裏道に入っていき、人通りも少ない路地を

通ってすぐを左折してお寺の敷地らしいところに入ってびっくりした。

本堂・祠堂・講堂と建物という建物全てが金ぴかである。

【ワット パークナームジョーロー】

最初に見たのが祠堂のようであるが、講堂・鐘楼と見て回っているうちに妙なことに

気づいた。本堂を見ていたら、その前に正門(山門)らしい金ぴかの門があるでは

ないか。そしてその門の前は河(バンパコーン河)でこの門には入れないので、

つまり我々が入ってきた裏側からしか入れないのだ。

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この正門から入ってきたとすると、何のことはないこのお寺は「ワットパークナーム

ジョーロー」であることが直ぐに判るタイ語の看板が本堂の前に立っていた。

写真右下で写真を撮っているのはミヤさんである。

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で、ミヤさんに近づいてこの像は誰だと聞いたらキング・タークシンと教えてくれた。

タークシン王はアユタヤ王朝を倒し、トンブリ王朝を開いた王であるが、一代限りで

滅びチャックリー王朝(現ラーマ王朝)に変わったのである。

Wikipediaによるとタックシンとは全く関係なく、華僑の子供としてアユタヤで生まれた

らしい。

それにしてもあちこちタイを見てきたが、タークシン王の像に出会ったのは初めてだ。

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ミヤさんがうれしそうに「館内もスーアイ(綺麗)だから入って見てごらん」と言う

ので中に入ることにしたが、それにしても何と言う豪華さだろう。

こちらは本堂の周辺である。

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そしてこれは窓周囲の装飾である。

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どうやら本堂の中にも入れそうなので入って見ることにしたが、入ってびっくりした。

何と見物しているのは私一人であるが、それにしてもさっき見てきたワットワーヨーと

比べて、中はなんともひっそりしたものである。

こちらが御本尊である。

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この本堂の中はこの本尊の他に、脇に一列に仏像が並べられていた。

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外国人の私が一人で勝手に写真を撮りまくっているのも気が引けて、早々に退散

することにし、この裏手に回ってみたらどうやら観光に来ていたのは。他に2組だけ

らしく車が2台停まっていたいた。

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ところでなぜかタイはやたらと大きな像を作るのだろう。

ここでも大きな托鉢をする釈迦像だろうか、この裏手に大きな立像が立っていた。

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さて帰ることになったが、私はどこにいるのだろうかと思うほどに右も左も判らない

状態で、とにかく義母の家にいったん引き返したが、このころになると雨が降り出し、

家に着いたのは夜7時過ぎだった。

運転で疲れたものの、たまには息抜きのこんな小旅行もいいものである。