Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

故義父の母(義祖母)の葬式でブリラムに行ってきた。:続編

前夜ホテルに帰って、ミヤさんと二人でビールを飲んで寝たのが11時頃か。

一夜明けて6時半には目を覚ますも、ホテルでの食事はないからタラートへ行って

朝食を調達であるが、気の利いたものがあるわけではない。

結局カオ二ャウ(糯米)とガイヤーン(焼いたトリ)くらいなもので、まあ私には

普通に食べられるから何ともないがこれだけでは物足りなく、ソムタム(青パパイヤの

タイサラダ)を買う積りが忘れてしまい、いささか物足りない食事だが、いつもの

ように素手で食べる正統的イサーンの食べ方である。

昼頃出棺らしいが、朝食を摂った私は何もすることがなく、手持無沙汰でウロウロして

いるのも間が持たないため、近所をぶらつくことにした。

この家の東側は田んぼで、どこまでも緑のジュータンを敷き詰めたようである。

イサーンの稲作は小川が流れていて、そこから水を引くという稲作ではなく、勿論

小さな川(らしきもの)はあるが、基本的には雨期の雨水が生命で、天水次第のため

畦道のようなものは極めて少ない。

その隣では放し飼いされた牛がのんびり草を食んでいる。本当に時間はゆったり流れて

いるようだ。よく見るとこの草地は柵で囲まれているが、当たり前で柵がなければ

田んぼの稲は牛によって一網打尽である。

その柵の根元を見ると、空心菜がいっぱい生えている。空心菜などここでは雑草で

わざわざ栽培しているところはないようだ。

何もすることがないと言っても、いつまでもブラブラしていても暑くてしょうがない

からひとまず戻ってみると、この家の男たちが集まって何やら待機している様子。

外から来た人たちにとってはお坊さんが5人集まっていると思うかもしれないが、

タイでは葬式を出すことになると、その家の身内の男5人(子供でも可)がブアット

(出家)して故人を送り出すしきたりなのである。

そのうち皆で祭壇を片付け始め、ピックアップも庭先に入ってきた。どうやら出棺の

準備らしく、数人の男たちがお棺を持ち上げて車に乗せ始めた。

もう12時になるから出棺なんだろうと思い、周囲を見ていると一旦家に帰る人やら、

逆に立ち合う人が来るやらで何となく忙しない。

すると義兄が車のキーを渡してきて、「ピックアップの棺の後からついてこい」との

指示があり、義母と二人車に乗り込んで出発。ミヤさんや家人その他の参列者は、この

ピクアップの後ろからお寺まで行列を作って進むのであるが、炎天下の正午、それで

一旦家に帰ってお寺へ直行する人がいたのだ。

凡そ30分かけて家から村の中を列を組んで、やっとお寺に着く。ここがお寺の本堂で

あるが、式はこちらでは行われない。

棺は焼却所の扉の前に置かれ、荼毘に付す前の別れの祭壇が準備される。

タイのお寺には必ずこの煙突のあるお堂があり、ここが荼毘に付す場所なのであり、

参列者はこの祭壇で最後の別れをするのである。

近親者は講堂に入ってお坊さんの読経に合わせ、最後の冥福を祈るのである。

義母やミヤさんは中に入ったが、私はいる場所がないため外で一般の人に混じって

見物と写真撮影である。

ここでも上の写真で一番手前の男の人が、昨晩と同じで全体の進行役だった。

一通り終わると、会場は一変して何やらタイ衣装を着た女性が二人登場し、広場中央に

敷かれたゴザの上で曲に合わせてゆったりと踊り始めた。タイの葬式には何回も出席

させてもらったが、このようなことは初めてである。二人とも指先が大きく反っていて

それなりに経験しているのかもしれない。

さてダンスも終わり、いよいよ最後の別れのようで、主賓から順に祭壇に上り供物を

捧げると共に最後の挨拶であるが、まあ主賓以外は供物を捧げることもなく左右の

登り口から上がって花(造花)一輪を献花し、中央から降りてくるのである。

ところで連合いの義祖父はどうしたのかと思って探したら、近親者の別れの中から

一足先に降りてきたが、この歳になって一体どのような思いが去来しているのだろうか

と思った。人の体は痛み・苦しみ・悲しみは、それに遭遇した時はもの凄く心身共に

痛さを感じるが、時が経つにつれその痛さなどどんなものだったか忘れてしまうように

できている。楽しみや嬉しさもしかり。義祖父の今の心境はどんなものなのか、これは

74歳になったばかりの私にとって、考えさせられた。

家族の最後の別れが始まり、それが終わると棺は焼き場の中に収められ、扉が閉まると

荼毘に付すため点火される。

丁度午後3時で、全てが終了した。 義兄も義母もすぐに帰る積りのようで、急ぎ

戻って帰り支度である。何となくゆったりとした時間の流れだったり、忙しない対応

だったりした2日間だったが、忘れることがないブリラム旅行であった。

関連記事 ナムジャイブログ:シャム湾の風に吹かれて

時代(世代)が変わりつつあり、ここに来るのはもうあと少ししかないと思うが、

日本人の私がこうしてイサーンに来るようになったのも、何かの縁なのかもしれない。