Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

坊主丸儲け: 修行と喜捨

再びウォーキングをやり始めて凡そ1ヶ月半になろうとしているが、前回は何も感じ

なかったのだが、今回は毎朝の事ながらタイの文化を少しばかり勉強しているようだ。

以前に比べ多少早起きになり、7時少し前には家を出て少し歩き始めると、毎朝托鉢の

お坊さんに出会うが、最初のうちは何食わぬ顔で多少会釈する程度であった。

このお坊さんが、毎朝我がムーバーンに托鉢にくるお坊さんで、寺男というか付き人が

付いていないために、タンブン(喜捨・布施)で頂いた品々を入れる袋を2つ背負って

やってくるが、丁度我が家を通り過ぎたところだ。

前回は気にも留めずすれ違いという感じだったが、今回の最初の頃は作り笑いで会釈

する程度であったが、なんかそれもいけない気がして最近ではきちっと立ち止まって、

両手を合わせて「ワイ」をするようになった。するとお坊さんが笑顔で「サートゥ・

サートゥ・サートゥ」と言ってくれるようになった。

この「サートゥ」というのは、お寺であれ企業が新年にお坊さんを迎えてタンブンを

行う時であれ、読経の合間に信者との掛け合いがあるが、その時に「サートゥ」という

ので知っていたが、意味不明の言葉だった。娘に聞いたが特に意味はないと気にも留め

ていない様子。インターネットで調べたが、やっとわかったのは「ありがたや、ありがたや」のような意味らしい。特に意味がないのではなく、感謝の意味を込めているようである。

タイ人は信心深いというが、ムーバーンの中を廻っているとお坊さんにタンブンする

家ってかなり少なく、苦しい時の神頼みではないが、何かあった時にタンブンする

感じで毎朝準備している家は数少ない。

ウォーキングでムーバーンの中を歩くのは5周だが、すでにお坊さんにタンブンした

ばかりで片付けをしているところを通ることもある。

お坊さんは頂くものが多くなって袋が一杯になったため、ムーバーン内の奥さんが

どうやらお寺まで運ぶらしい。寺男とか付き人が付いていないと大変である。

私が3周目を終わるころ、丁度お坊さんがこのムーバーンの最後のお宅にやってきて、

最後のタンブンということになる。このお宅の奥さんが、上の写真のお坊さんの一杯の

袋を、毎日お寺に運んでいるようである。

このお宅のバイクに一杯になった袋があり、更にお坊さんの左肩にも袋がぶら下がって

いる(一番上の写真で両肩に袋を下げている)が、言葉は悪いが毎日これだけの量を

托鉢で稼いでいるのである。税金がかかるわけでもなく、これがほんとの坊主丸儲け

ではないか、まあ喜捨する人は喜んで捨てているのだから仕方ない。

それがタンブンであるからだ。

決してお坊さんの托鉢をバカにしているのではなく、やはりそれだけタンブンして徳を

積もうという人が多いということである。

※托鉢の目的

 1.僧侶が生活の糧を頂くこと。

 2.善行・修行のため。実はこれが意味深なのである。

 この僧侶に対し施しをするという、施す側の修行するという意味合いが生ずるという

 のである。つまり托鉢は僧侶と施す側、双方にとっての修行となるというのである。

話は変わるが、息子がブアット(出家修行)した時だったか、ミヤさんから言われた

ことがある。それは坊さんは「人」ではないというのである。

「人」の類別詞はタイ語でKhon(コン)であるが、「人」ではないから何人

(ギーコン)とは言わないというのである。

僧侶の類別詞はループというそうである。僧侶が3コンではなく3ループだそうだ。