今日は毎月目を通している地方紙「OHAYO」に面白い記事があったので紹介したい。
記事自体は2面に掲載されていて僅かなものだが、まあ今シラチャにいる日本人など
ほとんど知らないことだろうと思う。
「OHAYO」は無料で配布されているので、目にされている方もあると思う。
記事によると7月1日は、シラチャ地区の創設者であるチャオプラヤ・スラサック・モン
トリー元帥の命日で、初代シラチャ市長の記念日として、例年に倣って偉業を称える
イベントが開催されたそうである。
【以下は「OHAYO」の記事から引用】
時はラマ5世統治時代、大軍司令官まで上り詰め、国防省を創設したそうである。
枢密院議員として商務省の大臣も務めた経歴もあり、その後バンプラに製材所を建設
する行政官として着任後、バンプラに設立した役所をシラチャに移転、行政区の名称を
シラチャとしたそうである。その頃ラマ5世の皇太子が重い病気に罹り、モントリー
元帥の庇護の下でシラチャで療養することになり、その療養所がソムデット病院と
なり、その後一般人の治療もすることになったそうで、毎年その業績を称えているとの
ことである。
ところでこのチャオプラヤ・スラサック・モントリーという名前を知らなくても、
シラチャに住んでいる日本人は殆ど一度はお世話になっている場所がある。
心当たりのある人もいるかもしれないが、健康公園からコローイへ渡る桟橋である。
どうしてこの橋がチャオプラヤ・スラサック・モントリーと関係があるかというと、
実は私もすぐには思い出せなかったが、以前別のブログで書いた「コローイ散策」で
紹介したこの桟橋の名前が、「チャオプラヤ・スラサック・モントリー」だったのだ。
※関連記事 ナムジャイブログ:シャム湾の風に吹かれて
その他にもお世話になっているわけではないが、何気なく目にしているものがある。
例えばこれは私の携帯の我が家がある地域の表示であるが、タイ語で恐縮だが
ソムデットチャオプラヤと表記されている。
他にもあって、たとえば私の住んでいるところは公称スラサックであり、在留証明で
スラサックやシラチャはなじんでいたのだが、シラチャ市内の行き先表示になんで
チャオプラヤという名称が時々現れるのか不思議に思っていたのだが、一気に「何故」
が無くなって本当にスッキリした。シラチャのマップでも日本語表記のあるものでは、
スラサックの町役場の正式名称は「チャオプラヤ・スラサック町役場」と表記である。
色々と書いたが、一般的に日本人に知られているシラチャの昔は、田舎の小さな漁村
だったくらいで、こんな歴史があったことなどほとんど知らないことであろう。