Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

息子と娘が大学卒業・肩の荷が下りた。

今私には2人のタイ人の子供がいるが、二人とも血のつながりはないが、それでも今年二人揃って大学を卒業することができた。 ありがたいことである。

数週間前であるが息子がミヤさんに言われることもなく床屋に行って、その翌朝早々に

大学に行く身支度でバイクに乗って出かけて行った。

しかし、午前中に帰ってくるなり、顔写真をミヤさんに見せて「ローチャイマイ?

(男前)だろ?」とか言っていた。

何だと思って覗いてみたら、なんだか卒業用の顔写真みたいである。

ミヤさんに確認したら、「ケンはこれで大学を卒業となった」と喜んでいた。

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息子は普通の高校に行くつもりでいたようだが、受験の締め切りに間に合わなく、

仕方なく専門校のE-Tech(Eastern College of Technology)でCollegeまで進んで電気

(重電)を学んだ後、前に私が働いていた日系企業に就職した。

しかしやっぱりタイは学歴社会であり、その壁にぶつかったようでミヤさんに相談した

みたいで、ミヤさんも「ちょっと遠回りしたけれど、ケンが大学へ行きたがっている

けれど最初だけでいいから援助してくれないか」と言ってきた。最初だけ援助すれば

その後の学費は自分が働きながら払うとのことで、私に反対する気持ちがなく援助して

やった。そうして選んだのがラーチャモンコン工科大学(バンプラ分校)で、やはり

電気(重電)を学び、卒業したら今の会社は辞めて電機会社を探すと言っていた。

働きながら土日は大学と、辛いこともあったろうが頑張ったと思う、コロナ過の

現在迂闊にやめても次の仕事はなかなか見つからないようである。

 さて娘の方だが彼女は何と私立のセントポール コンベント校を選んでしまった。

お陰で学費は大変なもので、挙句に高校卒業と同時に上級の短大までトコロテンで

進んだために私のスネは細る一方であった。

更にである、息子に触発されたのか大学まで行きたいと言い出し、バンセンにある

国立のブラパ大学に通うことになった。

その娘が先週バンセンまで行ってくると言って、息子と同じく大学へ行く支度をして

出かけて行ったが、午前中で帰ってくるなり私とミヤさんにやはり息子と同様に、

卒業用の顔写真を見せてきた。

ミヤさんは「ほんと長かったね」と言ってくれたが本当に長かった。

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ところがそんな「親の心子知らず」で、ノー天気な娘はもうちょっと勉強したいから

あと2年いいかと言ってきたが冗談じゃない、しっかりとした目標とかどうしてもやり

たいことがあり、そのためにあと2年というなら判るが、漠然としたものなら時間の

無駄。「冗談じゃない、これ以上足が細くなったら死んでしまう」と言ってやった。

 私たちがこの2人を引き取って育て始めたのは息子が中学1年、娘が小学4年に進級

するときからであった。

 二人にはその後養子ではないが私の日本姓を与え、名前も日本名に変えた。 

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現在も感染拡大中のコロナ過で一体これからどうなるのだろうか?

2人には未来があるのだろうかと心配になってしまう。

 ところで卒業できることはわかったが、卒業式は一体どうなってしまうのだろうか?

勿論卒業証書の授与には王族のスケジュールが絡んでいるのだろうが、2人に聞いても

コロナのためで大学からは何の説明もないという。

これもいささか不安である。