私が買い出しを終え、キャベツを切っていると犬達が盛んに吠え出したので、立ち
上がって様子を見ようとすると、義母と姪っ子が何やら荷物をたくさん持って入って
きたので、挨拶もそこそこに荷物を受け取って家に招じ入れた。
義母は家に入るもすぐに出てきて、あれやこれやと言いながら娘を呼んで何か指示を
してしゃがみこんで勝手に作業を始めてしまった。
ミヤさんと娘は義母が来ることは知っていたようだが、どうやら義母の持ってきた
ものは、義母が予め娘を通してミヤさんに聞いて用意してきたようだ。
この2~3年というもの義母が我が家に来ることはなく、何があったのか知らないが
義母からミヤさんへの電話もその逆も全くなくなっていた。
しかし義母から娘への電話はしょっちゅうあるようで、カノムチーンの屋台をやって
いることは、かなり以前から知っていたようである。
まあ何があったか知らないが、私にとっては「触らぬ神に祟りなし」であり、勝手に
やって呉れである。
義母が持ってきたのはインゲン、タイカレーのスープに絶対必要な朝鮮ニンジンの
ようなクラチャイ(写真下左隅)、ニワトリの足、その他でアイスボックスが一杯。
他にも手土産があって、これは義母の兄弟がやっている養殖の手長エビを分けて
もらったようで、以前はよく食べたが最近はご無沙汰だった。
ミヤさんのスープ作りも一段落したと思ったら、今度は娘がエビの炭火焼きを始めた
のだが、どうやら焼きながら食べたかったらしい。
私は洗濯物を干している間にエビはどうやら焼きあがったようで、娘はそそくさと家の
中へ入っていった。
私も一段落して中に入ると娘がポリ容器に箱詰めしていたので、「まさか売るんじゃ
ないだろ?」というと「1パック7匹で50Bで売る」とのこと。
なんとも商魂逞しい事である。
そんなやり取りを見ていた義母が、「ノ ヤンマイ キンカオ、チャイマイ?キンカオ
シー(まだ食事前でしょ、ご飯を食べなさい)」と言ってこれまた手土産らしい料理を
指さしたが、ナムトックムーっぽいがちょっと違う。「アンニーアライヤ「これは何」
と聞くと、「ラープ・ムー(豚のひき肉サラダ)」というがサラダとは程遠く、ひき肉
を紫タマネギや唐辛子・ハーブなどをナンプラー(魚醤)で炒めたもの。
辛いので白菜やインゲンを一緒に齧って辛さを薄くするのである。
炊き立てのご飯で旨かった。
この義母は料理が好きなのか、ミヤさんのカレーソーメンも基本は義母仕込みで、
それを自分流にアレンジして今の味になっているが、義母のは日本の「味の素」などが
結構入っていて、ちょっと甘い感じがして私には今一である。
しかしかなり前に釣りをしていた頃、大きなチョンガーン(イトヒキアジ)を釣った
とき、家に持ち帰って兜煮にしようと思っていたのだが、ミヤさんがタイの兜煮
をお母さんに作ってもらうからと言って、処理した頭を義母に渡してしまった。
タイの兜煮なんてと思った私が浅はかだった。
なんと言うか甘辛煮だが、いろいろな薬味が入っているし、味としては日本の兜煮と
ほとんど変わりなかった。 これはミヤさんがいつか作ってくれた味だった。
ところでこの義母が来ると私としては問題が3つある。
一つは娘だが、娘は迄義母のことを「メ∸(お母さん)」と呼んでいる。無理も
ない事だが小学4年に引き取るまで「メ∸(お母さん)」だったからである。
息子の方は心得たもので「ヤーイ(お祖母さん)」と呼び変えている。
これは息子として極考えたことであろうと思う。
息子のような細やかさが足りない娘は、昔の儘「メ∸(お母さん)」と呼ぶのだ。
お母さんて誰なんだ?
※ナムジャイブログ :シャム湾の風に吹かれて
子供たちを日本姓に変えた:シャム湾の風に吹かれて (namjai.cc)
二つ目は義母が来ることについて、私が不満を言うことは何もないのだが、義母と私は
年齢差が10歳以上あり、10歳以上も年下の義母にヘイコラできない自分がいることで
あるが、これは儒教の教えでは免れないことなんだと諦めている。
そして3っ目はこれが問題で、そもそもこの2~3年何故義母は我が家に来なかった
のか、それは私には判らないのだが、「この親にしてこの子あり」って日本では
言われることだが、タイ語で「キーモーホー(短気・怒りっぽい)」のミヤさんの
親だから「推して知るべし」だが、義母が居座ることはないとは思うが、頻繁に来る
ようになると同船に船頭が2人状態なることになってしまう。今でさえミヤさんと娘が
時々ぶつかっているというのに、これでは船頭が3人になってしまい、船はどこへも
行けなくなってしまう。