Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

やっと実現する一時帰国

実家のオフクロが亡くなってもうじき3年になるが、最近は略式なのか3周忌の法要は、

何かの法要と一緒にやったため、取り敢えず今年の仏事はないが、そうは言っても

これが最後となるかもしれないから、オフクロの墓参りだけはしてこようと思う。

オフクロが一人住まいだった実家は、弟が暇を見つけて何とか片付けてくれたが、私の

物は片付けられないため、未だそのまま残っている。

大した財産はないけれど、遺産相続の問題は一応メールや郵便やらで解決しているが、

実家の片づけだけは残ったままで、何回か一時帰国を計画したものの、コロナの

第6波だ第7波の騒ぎで、延び延びになっていたが、日本政府の規制の緩和やタイ

政府の入国規制緩和等でやっと行ける状態になった。

しかしいざ帰国となると、今度は私の気持ちが今一踏ん切りがつかず、ミヤさんに

せっつかれてやっとその気になった。

何を隠そう2006年にタイに来た時にはタイに骨を埋める気概でいたものの、暫くそんな

思いに触れることがなかったが、現実に実家の整理をするということは、「日本へ

帰っても帰る家はもうない」ということである。そこへきて右目はボケてきているし

血圧は高い74歳の爺が、いつまでも元気で飛行機の旅などできようもないから、弟に

対しても、近しい親類のおばさん達にも、挨拶といっても今生の別れになってしまい、

どんな顔して向き合えばいいのかつらい。

下の写真は、今年の初めに弟が送ってきてくれた、実家の2階から見た富士山である。

この富士山の姿ももう見られなくなるということである。

実は私はコロナの予防接種は一度も受けてなく、今から予防接種をしたところで、

2ヶ月・3ヶ月という時間はなく、陰性証明があればいいので検査を受けることにした。

そうして一昨日(16日)帰国日を19日~22日と決め、ミヤさんと娘にはエアチケットの

手配を頼み、翌17日の朝健康公園でのウォーキングの帰りにパヤタイ病院に寄って

PCR検査を受け、午後3時過ぎには「検査結果は陰性だった。証明書は既に発行された」

という連絡を受け急いで取りに行った。

・・・で、陰性証明は手に入ったが、肝心のエアチケットはどうなったか、ミヤさんに

質すと「陰性なのか陽性なのか分からなく、エアチケットを予約してもし陽性だったら

どうすんの、キャンセルできなかったらどうするの」「馬鹿言うな、コロナじゃないっ

て自分の体は分ってるし、おかしなところもなかったから自信があって行ってきた、

それがチケットが手に入らなかったらどうすんだ」と喧嘩である。

すると娘が「今からすぐチケット買いに行こう」と言い出し、近くにある旅行代理店

なのかチケット販売店なのか判らないが、娘が店に入っていき頼んだチケットを買って

きて「これでいいでしょ」だと。全くやきもきさせて、これが混雑している時だったら

絶対に手に入らなかっただろう。とにかく勝手に決めないで一言先に言え!!である。

ともかくこれで後は出発の準備だけだが、持っていくものは自分の着替えと多少の

土産だけだからとにかく身軽だが、帰りは実家に置いてある私の荷物でスーツケースは

恐らく満杯だろう。

最悪、宅配業者にでも頼もうかと思うが、何はともあれそれで発生する費用にしても

旅費を含めても、日本におられる人には申し訳ないが、現在の円安はタイにいる私には

本当にありがたい。

もし私の荷物の送料が安く上がったら、手荷物の方は土産が増えそうである。

昨日喧嘩したばかりが、あの化粧水が欲しいこれが欲しい、娘までサン・ローランの

香水をと注文してくる。そうなると空港まで送ってくれる息子にも、一寸奮発して

買ってこなければなるまい。まあ久し振り(最後の)の帰国だからしょうがないか。