Jinbeiのシャム便り

タイ在住の年金暮らしの専業主夫のジジイで、タイ生活/日記一般を綴っていきます。

シラチャ一の高層ビルのラウンジでカクテルを楽しむ。

先日100バーツのラーメン屋にミヤさんたちと行ったのだが、実はその続きがあって

結構散財してしまった。ラーメン屋でビールの入ったミヤさんと、元スタッフのビウ

ちゃんはシラチャへ行って飲もうと言い出し、タクシーまで呼んでしまった。

こうなったらもうお任せで、私は行き先も知らず着いたところで後に従うだけだが、

立派なホテルに玄関横づけで、ボーイが迎えに来るが女性陣はさっさとエレベーターに

向かっていく。エレベーターの扉が開き乗り込むと最上階の48Fを押すが、「エッ

48Fって一体ここはどこだ」と娘に聞くが、小さな声で「オーク・・・」となんだか

よく聞き取れない。上に着くとミヤさんとビウちゃんは先にラウンジに行ったが、娘は

パア、こっちこっち」と言って私の手を引き、展望台らしき方に引っ張っていくが、

雨上がりで滑りやすく怖い思いをして外に出ると、そこには見事な夜景が広がっていて

身を乗り出すわけにはいかないが結構楽しめた。

娘の説明だが、これは海岸通りからスクンビット→バンプラ~バンセン方向の夜景。

そしてこちらは海岸通り→スクンビット→パタヤ方面を見たところであるが、夜景の

ため(恐らく・・・だろう)で判断したが間違ってはいないと思う。(このホテルが

OakWoodならばだが)

翌日ウォーキングの帰りに、ちょっと寄り道をして確認したのがこちらの写真で、

OakWoodに間違いはなかったが、娘がなぜこんなとこ知っているんだろうなどと

いらぬ心配をしたが、26歳にもなる若い娘が知らない方がおかしいのかもしれないと

反省した。(写真はアタラモール側から見たビル)

夜景を見たのは、OakWoodの上にある柵の向こう側のようだ。

さて私と娘が夜景を見ている間に、ミヤさんとビウちゃんはもう注文も終わって、酒が

次々運ばれてきて既に飲み始めていた。

これはビウちゃんが頼んだ「レインボウ」らしい。一口試飲したらジンベースのカク

テルのようだが、グーッと全部飲んでマナオをカジッテいた。娘は特に注文なしで、

これを2人で飲むつもりらしい。

そしてこれはミヤさんの注文したもので、「カクテル・シラチャ」というものらしい。

「メニューを見て頼んだが甘すぎる」と言っっていた。試飲させてもらったが、確かに

ラムベースでブルーキュラソーで割り、更にクリームが入っているから甘いわけだ。

私のはミヤさんが頼んだと言ったが、「ジントニックでいいでしょ」というから

「いいよ」とは言ったが、運ばれてきたものを見て思わず『どんな頼み方したのか』と

聞きたくなるような量で、およそ普通の4杯分くらいが入ったものが運ばれてきた。

ここもそんな遅くまでいてお替りすることもなく、それぞれの注文したものを飲み

終えると勘定を済ませ後にしたが、そんなに高いほどもないみたいだった。

このOakWoodというホテル&レジデンスだが、今シラチャにある建物で一番高い建物

ということであり、海沿いの公園から見るとこういう風に見える。

先日見付けた「100バーツのラーメン屋」へ行ってきた。

先日投稿した「珍しいもの見付けた」、で紹介した「100バーツのラーメン屋」だが、

コマセが効いたようで、ミヤさんと娘が早速飛びついてきて、思いのほか早く行くのが

実現した。一昨日の夕方、ミヤさんの元スナックのスタッフが家に遊びに来ていて、

夕食の話になって「ピーノ、この間言ってた『100バーツのラーメン屋』へ行こう」と

言い出した。「行くって言ってもこの雨の中、どうやって行くんだ。それに車で行くと

俺飲めないし・・・」と言うと、すでにタクシーを頼んであると言う。こうした時の

行動の速き事「風の如し」そのものである。

店に着くと隣のカフェ「GRACE」の方に入り、店のスタッフにラーメン屋から出前して

欲しいなどと言っていたが、OKの返事が返ってきたので早速席に着く。

私はというと、せっかくのブログネタの「100バーツラーメン」を不意にされたような

気持ちになり、「向こうへ行って様子を見てくる」と言ってラーメン店の厨房の隣の

部屋へ入っていき、部屋の写真やメニューを撮らせてもらっていた。ここは大人数の

部屋らしいがカウンター席もあるが、この厨房は表の「ラーメン屋」の看板のすぐ裏に

なるようだが、裏側の方が思ったより広くなっている。

カウンターの上にもメニューが貼ってあるが、メニューは寿司のほかにラーメン・丼物

にカレー・一品料理などが揃っていた。これは寿司と刺身のメニュー。

こちらは一品物のメニュー。

私がここで写真を撮らせてもらっていると、ミヤさんたちがこちらの店の奥に越して

きていて、すでに席に陣取っていた。

そして各々が食べたいものを勝手に注文する。これは「アジのたたき」と「寿司の盛り

合わせM」である。刺身の盛り合わせ(M)と言ってもちょっと少ない感じだが、「アジ

のたたき」は調理がきちっとしていてアジが新鮮で旨かった。

私とミヤさんが頼んだ「鉄火巻」

娘が頼んだ「天ぷら」しっかりと上がっていて衣がカリカリして旨かったが、少し

揚げ過ぎといった感じだが決してまずいわけではない。

こちらのとんこつラーメンは娘が頼んだものだが、麺がちょっぴり茹で過ぎた感じが

したが、スープは美味しかった。

さて飲み物だが、何があるか聞いたのだが、焼酎はあったが日本のものではないため

結局ビールとなってしまい。腹が膨れて困った。結局このほかにも2品注文し、4人で

2600バーツだったから安い!。その上ミヤさんや娘も、「すえひろ」と大して

変わらないしこの方がいいと言っていたが、コスパはすごくいいが、日本人からすれば

味はやっぱり「・・・・」の方が〇〇であると思える。これはあくまで比較した場合。

さて営業時間だがこんなチラシが貼られていた。土日もやっているようである。

10:00~23:00というのはソンクランやニューイヤーなど長期連休で開店して

いる時らしい。

ところで隣のGRACE」だが、ここのシェフがオーナーらしくどおりで出前も自由なわけ

であった。

※参考記事

ここはシラチャ市内に住んでいる日本人には、歩いて一寸というわけにはいかないが、

モータサイやトゥクトゥクで行けばそんなにかからない、シラチャ駅のちょっと先で、

フアクローク踏切(踏切はなく高架)の先にある。

 

珍しいもの見付けた

私のブログネタで、これまで「面白いもの見付けた」とか珍しいもの見付けた」とか、

普段あまり見かけないものを書いてきたが、その積りで撮った写真が溜まったので紹介

したいと思うが、面白いとか珍しいというのは主観が入るので、ちっとも面白くないと

言われる人もおられるかもしれない。

【投網を打つ】

投網って子供の頃に見たことがあったが、タイに来てからはシラチャでちょくちょく

見かけるようになったが、やはりよそではあまり見たことがなく、シラチャでも

コローイの桟橋かシチャン島への連絡船乗り場周辺しか見ることはない。

投網だから網を投げて魚を取る漁法だが、投げ終わった網が海面(水面)に円が広がる

ようにならなければ魚は取れないからコツがいるようだ。

【個人商店のidemitsuの旗】

タイでよく見かける石油会社の看板はPTTやバンヂャーク(葉っぱのマーク)、PTや

エッソと言ったところで、オイルなんかもガソリンスタンドで補給するかディーラーの

サービス工場で補給するだろうが、ENEOSとかidemitsuといった日本の石油会社の

ロゴは見たことがなかった。ところがある日、シラチャのロビンソン前の信号で信号

待ちいてふと横を見てアポロマークの旗が目に入った。「ハテ」と思ったが車が動き

出したので発進したが、気になったのでウォーキングの帰りに路駐して写真に収めた。

バイクなんかのオイルを売っている個人商店のようで、ロゴも小文字だったから最近の

旗のようだ。それでもタイで、日本の石油会社のロゴを見たのは初めてである。

【BOXカーのバスのリヤウィンドの浮世絵】

タイ人て目立ちたがり屋が多いのかミシュラン人形を車の周りに取り付けたり、知って

か知らずか若葉マークや枯葉マークを付けている車もある。先日ウォーキングの帰りに

私を抜いたBOXカーのリヤウィンドウに浮世絵が貼ってあったが、後ろが見えにくい

だろうにと思ったが、好きなものはしょうがないが、こういうものをどこで見つけて

くるんだろうか。

【ロータリーのモニュメント】

日本にはロータリーは殆どないが、タイにはどこへ行っても大概1個所や2個所はロータ

リーがあり、時計台があったり花壇になっていたり、あるいは芝生で覆われた築山で

あったりする。先日チャチェンサオへ行った際、バンパコン河の近くでこんなユニーク

なロータリーを見つけた。そこに何を植えるか設けるかは行政の問題だが、考えた人は

どんな思いがあったんだろうと思った。

【タラートの浮浪サル】

タイにはどこにもサルがいるが、シラチャにもシラチャ区役所の裏山やバンプラ貯水池

周辺にも沢山いるが、チョンブリのタラート周辺には山らしきものもなく(尤もロッ

ブリには街中にいるが)、今迄サルなど見たことがなかった。もう10日程前になるが、

チョンブリのタラートの近くにミヤさんと買い物に行き、私はすることがなくタラート

でも見てこようと思いぶらぶら歩き始めたら、一頭ののサルが私の前を横切って向かい

の肉屋の店先に行き、脇に置いてあった袋を開けてつまみ食いを始めた。それがゴミ

なのか何なのかは判らないが、どこか慣れた感じだったが、私が見ていたので警戒した

のかサルも私を見ながら食べ物を口にしていた、目が合って襲われでもしたら危険な

ため、私はすぐ目をそらしたが周囲を見回してもその一頭しかいなかった。サルって

群れで行動、こいつは浮浪サルだろうか老猿みたいだ。

【ムエタイの練習】

つい何日か前、健康公園で見かけた練習風景が珍しくてすでに記事投稿したが、その後

また見かけたので今度はしっかり観察させてもらった。見ていたがこの女の子意外と

背丈が小さく、顔立ちからしてまだ高校生かと思われたが、しかし気合と共に蹴る方が

素早くミットを蹴る音が「パンッパンッ」と二段蹴りの結構激しい音がしていた。

こんな子に蹴飛ばされたら大変なことになりそうだ。

【新車ディーラーの等身大のアイアンマン】

話が前後するが上のサルを見た同じ日、チョンブリに入って信号待ちでノロノロ徐行

しながら進んで行き、とある新車ディーラーの前に差し掛かると、ショーウィンドウの

前に、私と等身大の大きさのアイアンマンが飾ってあった。実物はどれくらいの大きさ

なのか知らないが、超人ハルクといいタイ人はこういうのが好きらしい。

【幼稚園前のスーパーヒーロー達】

ノンヤイブ通り(シラチャからアサンプションのY字路を右に行く)を通ると、Y字路の

合流点近くの左側路肩にアイアンマン、超人ハルク、スパイダーマン、スーパーマン

などのスーパーヒーローが並んでいるところがある。ところが不思議なことにどれも

小さな体躯をしているので、「ハテ」ここは一体どういうところだろうと思っていた。

ある日ウォーキングの帰りに一応写真に撮っておこうと思い寄ったら、私のすぐ前に

いた車が路肩に寄せ、中にいた女の人が小さな子供と一緒に降りてきて塀の中に消えて

行き、続いてきた車も同様に降りた子供が中に入っていった。

バンコクで幼稚園(タイの)というのは聞いたことがあったが、シラチャではどう

なのか疑問だったが、なんか思い切り納得してしまった。

【客車のカフェ】

ミヤさんの買い出しは三日に一度で、シラチャのタラートではなくラッタナコーンの

タラートだが、シラチャ駅から来て上のノンヤイブ通りのフアクローク踏切(実際は

踏切はなく高架)を曲がって線路沿いに南に進む。ある時この高架地点から100m

ほど行った右側に客車が停まっているのが見えたため、車を停め写真を撮ろうとして

驚いた。第一にこれは中を改造してあって喫茶店になっていたのだ。さらに驚いたのは

客車は2両だが、現在どこでも使われている車両の1両分にも満たない感じである。

一体こんな客車どこから探してきたのだろうかと思うが、今度コーヒーでも飲みに

入ってみようと思う。こちらが前の車両。

そしてこちらが後ろの車両である。しゃれた感じで店の名前はGRACEらしい。

【100バーツのラーメン屋】

客車のカフェにつられて写真を撮りに訪れたのだが、車を駐車場に入れようとして気が

付いたのがこちらの、日本語で書かれた「100バーツラーメン」のラーメン屋だ。

そもそも100Bのラーメンなんて、何となく胡散臭そうで「もどき」の感じがする。

とはいえやっぱり気になるので、今度様子を見によって見よう。

【オマケ】

ところで私がひと月に一度目を通すOHAYOという地方紙があるが、偶然こんな記事を

見つけたので紹介しておく。

シラチャのワットカオタベークでガラスの橋「スカイウォーク」を歩く

土曜日に家族でシラチャのワットカオプラクルへ行った帰り、ミヤさんが「せっかく

家族皆で外出したんだから、もう一か所お寺に行こうよ。近くだよ」ということで、

車はタノンライクルアイ(ライクルアイ通り=3241号)を元タイガーズーの脇を

通って331号バイパスに合流する。チャチェンサオ方向に向かってすぐのPTTのガソリン

スタンドあたりで、息子が左前方の山の頂上付近を指差し「あそこだろ」と、言うので

そちらを見ると、2つの山間を結ぶ橋があるのが遠くに見えた。(写真上方)

PTTのGSの先にイースタンシーボード工業団地方面に向かう信号があるが、その信号の

手前300m位のところを左折し、すぐにまた左折すると雑木林の中にお寺の駐車場が

見えてくるのでそこに車を乗り入れる。

車を降りて前を見たら、タイでは初めて見る3重の塔があった。その左手には講堂らし

き建物が見えていた。

駐車場を左手に進むとそこに本堂と思われる建物があるが。娘に聞くとここがワット

カオタベークというお寺らしい。

ここには寄らないで、更に脇を進むと土産物屋やらタンブンする品物を売っている店に

混じって、願い事をするためのリボンを売っている店があった。

1本30B支払って各自好みのリボンを選び名前を記入するのだが、色は5種類で色に

よって込められる願いの意味が違うらしいが、それはよく分からない。

この店の裏側が広場みたいになっていたので、何があるのだろうかと思って入ったら、

周囲をヤグラで囲まれた仏陀の頭部が置かれていたが、祀ってあるようではなかった

ので、こんなものどうするのだろうと思ったが、皆は先に行ってしまったので慌てて

後を追った。

こちらがガラスの橋(スカイウォーク)への入り口で、皆はもう入り口も通過して先に

進んで行ってしまった。

入り口のアーチをくぐるとその先は橋になっていて、向こうの山の麓に渡るようで

渡った向こうの山の上の方に(写真右上)に橋が見えている。欄干には訪れた観光客が

願いを込めて結んだリボンで、びっしり埋め尽くされている。

この橋から下を覗いた私は、先ほど見た仏像の頭部について思わず納得してしまった。

そこには仏像の各パーツを別々に作っているところがあり、後から各パーツを溶接する

だろうと思われる。

このまま橋を渡り終えようとするが、それは渡った側の山道への入り口みたいだが、

竹藪になっていて光が遮られ薄暗くなっている。

たいして高くない山だが急な坂道が続いていて、サンダルで来た私は歩きづらくて

しょうがない。急峻な坂が続くので、途中お年寄りや太った人は結構休みながら登り

続けるが、本当に息が切れる。

螺旋状になっている山道を半分ほど登った中腹が、どうやら折り返し地点になっている

らしく、釈迦立像とお坊さんの像が2体祀られていた。こういう時娘は信心深いのか、

必ずこうして何某かの施しをするが、本人にしてみれば徳を積んでいる積りだろう。

ここから右が頂上に行く道で、左がスカイウォークらしく、我々はもう上に行くつもり

はなく、迷わず左側のスカイウォークへの道を進む。

さていよいよ「ガラスの橋=スカイウォーク」を渡るのだが、ここでは一人200Bを

支払わなければならないから、事前に現金を準備しておいた方がいいだろう。

そしてゲートを通過したら履物の上からカバーを履いて、ガラスの橋に進む。

結構楽しんでいる人達がいる。

足元から見える橋の下はこんな感じである。

やっぱり小さな子は高すぎて怖いのかもしれない。

この橋の手摺りから外を覗くと、ガラスの橋から下を見るのとは違い、少し高所恐怖

気味になるが、でも橋自体が揺れないからあまり恐怖心は沸いてこない。

話は変わるが、セントルイスのアーチは中にエスカレータというかトロッコと言った

方がいいのかそれで上まで行けるのだが、上は膝くらいまでだったかガラス窓が付いて

いるが、とにかく風でユ~ラ々揺れるので怖い思いをしたことがある。

さて前方に見えるグリーンの屋根が終点で、全長は50mくらいだろうか。

さてわたり終わったらすぐに下への降り口である白い建物が待っている。

降り口の白い建物を出ると、苦労して登って来た山道分の急峻な階段が待っていた。

下りだから休むほどのことはないが、またまたサンダルに苦しめられ、下に降り立った

頃には膝がガクガク笑っていた。

ここは確かに新たなシラチャの観光地になるだろう。

※参考記事 【シラチャ】新しい観光名所「ワットカオタベーク」に行ってみた!

シラチャが一望できるワット・カオ・プラ・クルで願掛けしてきた

土曜は息子が朝から帰宅し、大学の卒業式の準備(大学は終了したが「卒業式」が

済んでいない)のため、卒業式に着る服の仕立てに大学へ出かけ、10時半ころ帰って

来たと思ったら、今度はミヤさんと娘が「皆でお寺へ行こう」と言い出した。息子は

乗り気ではないらしく「どこのお寺だ」とか言っていたが、「セントポールの近く」

だとか説明されその気になったようで、仕方なく私も同行した。場所はセントポールの

ほんの少し先(レムチャバンより)を山に向かって上りだした。

暫く上ってお寺の駐車場らしきところに出た。そんなに高いところとは思えないほどで

あるが、見晴らしのいいところである。車から降りると白い釈迦の立像の後ろ姿が

見えてきたが、なんとも艶めかしい姿である。薄い衣を着た姿を現しているようだ。

さらに進むと左に赤い屋根が見え、説教をしているようであるが、手前にはどこのお寺

でも見られる八体の仏像が並んでいる。

その横ではお坊さんが観光客に対して説教しているようだが、地図ではこちらが

Khao Phra Kru Monastery(修道院?)のようである。この建物の仏像たちだ。

そしてこの向かいには白い仏像の座像があった。この坐像の土台の下には小さな池が

設けられロイクラトーンが浮かんでいた。この坐像はこの向こうにある展望台(?)に

続く橋の中央に鎮座しているのである。

さてこの橋であるが、ここにはもう少し大きな池が設けられ、水も注いでいるが盛んに

霧を発生させていて、池には大きなコイが沢山泳いでいた。

さて橋を渡って、この坐像の後ろの階段を上ると広い展望台のようになっているが、

地図上ではこちらがWat・Khao・Phra・Kruとなっていたが、お寺の屋上に当たるの

かもしれず冒頭の艶めかしい立像の前面が見られる。 つまらないことだが、頭を見る

限りは釈迦(男性?)みたいだが、透けた僧衣を通した前面は観音様(?)か。

こんなところでジェンダーを問うつもりはないが、こんなこと気にしても仕方ないが、

全体に胴が短く足が長すぎてバランスの悪い立像だ。

それにしてもここはシラチャの町が一望でき眺めがいいところである。シチャン島は

霞んでいて見えないがコローイとシラチャの町が見渡せる。

少し角度を変え、バンプラの方を見るとこんな感じで、中央の白い建物はパヤタイ病院

である。

上の写真2枚の丁度中間にあたるところの手摺りの中央に大きな水晶玉(恐らくガラス

玉で直径40~50cmはある)が設置されていて、これに願いをすると成就するとの

ことで、まずはミヤさんが願掛けをした。拝んだ後球の周囲をさすりながら、願掛けを

するのである。

続いてあなたもやれというが、ミヤさんと娘について行ってあちこちのお寺で願掛け

してきたが、これまでほとんど成就したことがないからいいと言うが、そんなこと

言わずとにかくお願いしろと言われ願掛けした。いつになったら成就するのだろう。

今度やる時には期限を切ってみようか。若い時には「星に願いを」したこともあった。

手前の私の肩幅ほどもある水晶玉などそうそうあるわけがない、ガラスで球を作った

のかもしれないが、それでも気泡などが入らないガラスの玉は作るのも大変だろうが、

屋外の外気に晒していて、風や雨に含まれる微細な砂を考えると、表面の滑らかさを

保つのも大変だろう。

取り敢えずお参りはしたから帰ることにして引き返し始めたのだが。来るときには気が

付かなかったが、ちょっと脇にそれたところに小さな滝があった。わざわざ水を引いて

作ったのか、とにかくここで家族で写真を撮ったのだが、普段あまり写真に写りたがら

ない私は、久し振りにミヤさんと一緒のを撮ってもらった。

私が立ち上がろうとすると、すかさず娘が走り寄ってきて「私も」と言って隣に座る。

娘ももう26歳になり、近くに来られるとなぜかドギマギする。

さあ家に帰って昼飯だと思ったのだが、帰る道が途中から変わったので「どこか寄って

いくのか」と聞くと、「せっかく皆で来たから、遠くないからもう一か所お寺に行く」

と言い出し、こういうところだとネットの写真を見せてくるが、面倒くさくなって

生返事を返した。               →その話は続きにします。

母が残したもの

2~3日前ウォーキングの途中で弟から電話があったが、「今外で運動中だからあとで

電話するわ」と言うと、「分かったスゲー写真見付けたから、送っておくから後で見て

電話をくれ」と言われた。家に帰り早速LINEを開いてみると、古い写真が目に入った。

そこには確かに「スゲー写真」が貼られていた。早速弟に電話すると、「オフクロの

アルバムまだ片付かなくて、ゴミとして出そうと思ったが写真をそのまま捨てるような

もので、困ってアルバムから剥がして家で燃やそうと思ってやり始めたら出てきた。

オフクロ(右)が19歳で叔母さん(すぐ下の妹)が17歳と書いてあった。こんな写真

初めて見たけんど、スミエちゃん(叔母の娘)が前にユッテタけんど、『アンタちん

叔母さん(オフクロのこと)は若い時分はすっごく綺麗で、近所でも有名ですごく

モテたってうちのオカアチャンが言ってた』ことを思い出した。だけんどこんなアル

バムそのまま残されたって、片付ける方が大変だ」と半分愚痴であるが、最後には

「オフクロ本当に綺麗だったんだな~」と言っていた。私もこの写真は初めて見た。

さてその翌日のこと、またまたLINEで今度は古い履歴書が送られてきた。弟に電話を

入れると「もう故人だから個人情報もへったくれもないと思うけーが、それでも

こんなものゴミで出すのも気が引けるけんど、取り敢えず送っておいた」と、また半分

愚痴になりそうなので早々に礼を言って切った。しかし古いものが出てきたものだ。

半紙に筆で書かれたものだが、達筆だったんだな~と感心してしまった。書かれたのが

昭和30年とあるから、市立病院に地方公務員として応募した時の控えなのだろうが、

私が小学校2年のときである。

こうやってオフクロの昔を改めて見てみると、樺太から始まり東京→静岡県→また東京

→終戦と共にまた静岡県と随分と波乱にとんだ人生だったようだ。樺太はオフクロの

親爺(つまり私の祖父)が鉄工所をやっていたそうで、この話は小さい時に聞いた

ことがある。そして祖父の夢はブラジルに行くことだったとも言っていた。

東京の目黒や蒲田とあるのは祖母(祖父の顔は知らないが、祖母の顔は覚えている)の

兄弟のところに預けられたらしいが、小学校高等科(中学)を出た後も勉学には強い

意思が働いていたのだと思う。

ところで私には父親の思い出はなく、母親の思い出だけで母の背中を見て育ったという

思いしかない。母はバツイチだが、上の昭和28年(母が28歳で私が5歳の時)

から親子3人の生活が始まった。

話は一寸横道にそれるが、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」の主題曲「君をのせて」に

♪父さんが残した熱い想い、母さんがくれたあのまなざし♪とあるが、私にしてみれば

♪母さんがくれた熱い想い、母さんがくれた強い意志♪しかない。

母が熱を出して動けない時には私が家事を手伝うしかなく、小学校2年になった頃

には、釜で飯炊きができるようになり、味噌汁の作り方も教わっていた。

弟ではないが、アルバムやら昔の物などいつまでも持っていても、私に何かあった時

残された方が大変だということはよく分かる。オフクロによく言われた「勿体ない」

も必要だが、思い切った「断捨離」も必要だろうとこの頃思う。

さて今の私だが、まさかバツイチまでお袋から譲り受けたわけではないが、あとどれ

くらい頑張れるだろうか、頑張れるならできるだけ身軽になっておこうと思う。

昨晩遅くにロイクラトーンを見に行く。

昨晩はロイクラトーンにはいかないと言っていたので、その気になって本を読みながら

晩酌をしていたが、9時頃になって突然娘が「パア、ロイクラトーン見に行こう」と

言い出した。ミヤさんを見ると「この時間ならもう人も少なくなっているじゃない?

食べ物も買いたいし」と言う。行きたくないと言っておきながら、なんという手の平

返しだと思ったが久し振りだから行くことにした。タクシーを呼んだというから外へ

出て待つが中々来ない。もう皆既月食など終っている時間で、月は冴えわたっていた。

タクシーが中々来ないので確認すると、タクシーもトゥクトゥクもダメだからモーター

サイを2台呼んだとのことだが、結局2台に分乗して健康公園脇に着いたのは、もう10時

になろうとしている時間だ。既に10時になろうとしているのに、「この時間ならもう

少ない」どころか人で一杯の海岸通りを横切って公園内に入ると、駐車場の出店はどこも一杯で、通路も人で溢れ返っていた。

凄い人ごみのため、もう一度海岸通りに戻って時計台の方に向かうが、やっぱり人は

多く歩きにくい。朝は明るくて気が付かなかったが、時計台もネオンで飾られていた。

何とか人混みを抜け桟橋通りに出るも、こちらも似たり寄ったりでどうにも歩き難い。

ずらっと並んだ出店を覗いていくが、数年前と少しばかり趣が変わっていて、射的やら

輪投げ、ダーツ当てなどのゲーム屋の姿が消えていて、服飾品屋や携帯のケース屋が

やたら目立ち、ケータイ用品の店は人気があるみたいだ。

このケース屋の脇に空きスペースがあったので、そこから海を覗いてみたのだが海水が

全くなくつまり干潮で海の底が見えているのである。向こうの建屋は休憩所のため、

桟橋の半分くらいは完全に潮が引いた状態で、これではロイクラトーンなどローイ島の

向こう側(桟橋の反対側)に行かなければ見られず、これ以上歩いても疲れるだけだと

判断し引き返すことにしたが、すでに10時半を回っているが、ローイクㇻトーンを

流そうとする人達はまだまだいて、桟橋をローイ島目指していた。

これ以上は行かないと決めたら、後はミヤさんたちの食べ物を調達するだけだが、食べ

物を売っている店はどこも人で一杯である。こちらは2つ目の休憩所にもテーブルと

椅子を並べていた店だが、奥のテーブルまで人で埋まっている。

パッタイを旨そうに焼いている店があり、思わず買いたくなったが、私はまだ晩酌中で

つまみがあり、ミヤさんたちも先に行っているのであきらめた。

先に行ったミヤさんたちが足を止めていたのがこちらのガイヤーンの店。あまり見た

ことがない長い串刺しの焼き鳥である。帰ったら少し分けてもらって食ったが、甘い

タレが付いていて旨かった。

こちらは桟橋出口に置かれたゴミ箱だが、ゴミで溢れ返っていたが、まともにゴミを

捨てて行った人たちばかりではなく、空いているところにも捨てているだろうから、

実際はこんなもではなかろう。

帰りはアタラモールの所からトゥクトゥクに乗って帰ったが、一体何のためにコローイ

まで行ったのかよく分からない。 改めて晩酌を続けたが、切り上げてシャワーを浴び

ベッドに入った時はもう1時を回っていた。

さて日が改まって今日9日、いつものようにウォーキングに出かけ、5キロ歩き終わって

一休みしながら海岸べりに出てみたが、昨晩干潮だったため海岸にはロイクㇻトーンの

かけらも打ち寄せられていなかったが、周囲は捨てられたゴミが一杯だった。

このゴミを近所のおばさんだろうか、ボランティアみたいに片付けている人がいた。

ロイクㇻトーンを見に行き、干潮でロイクㇻトーンを見ないで、夜店だけ見て帰った

のは初めての経験である。